ありがとう、ごめんね


木曜日、午前10時4分。
父方の祖母が亡くなりました。
83歳でした。




おばあちゃんは、あっけらかんとした人で、から揚げとコーヒーとパチンコが好きだった。
窓辺で編み物、なんてことは嫌いで、でも私が小さい頃はミシンでお布団のカバーなんかを作る仕事をしてた。


外見にあまり頓着しない人なんかと思ってたけど、実は白髪がすごく嫌でこまめに髪を染めていたり、洋服にもおばあちゃんなりのこだわりがあって、どっからどう見ても地味な服を「これは派手やし着れんで」と言っていたりした。
入院中も白髪のことを、すごく気にしていたらしい。


ものすごーくパチンコが好きで、ちょっと暇があるとすぐにパチンコに行っちゃうような困ったとこもあったけど、どんな困難にも負けない強い人だった。
そして決して人の悪口を言わない人だった。


父が長男、そして私が初孫ということもあってか、小さい頃からかわいがってもらった。
私が父の仕事の都合でブラジルにいたときも、そして成人して働き始めてからも、毎年誕生日になると手紙をくれた。
締めくくりには、「またお休みに遊びに来てね。お正月にも帰ってきてね」と必ず書いてあった。


結婚が決まって、夫と一緒におばあちゃんに会いに行ったとき、「きれいな人やねぇ」と夫ばかりを褒めていたおばあちゃん。
「足が痛いで、結婚式に行けんかもしれんわ」と言っていたけど、10月の結婚式にはおしゃれして出席してくれた。
おばあちゃんと一緒に並んで写真を撮ったとき、「いつえちゃん、きれいやわ。ほんまにきれいやわ」と何度も言ってくれた。


北京から帰るたびに、おばあちゃんに会いに行った。
いつも「遠くからご苦労さんやねぇ」って言ってくれた。
入院中、自分の体がしんどいときでさえも「ありがとねぇ」って言ってくれた。




おばあちゃんは私には言わなかったけど、ひ孫を楽しみにしてたんやって。
父と母がお見舞いに行ったときも、「いつえちゃん、子どもはまだかねぇ。ひ孫見たいなぁ」って言ってたんやって。
おばちゃんが病院に行ったときも、「ひ孫はまだかなぁ」って言ってたんやって。


なんていうか、こればっかりはどうしようもないことやから仕方のないことなんやけど、それを聞いたとき泣いてしまった。
別にひ孫ができてたら何かが変わってたかも、とは思わないけど、おばあちゃんにハッピーなニュースを伝えたかったなぁって。
そう思うと涙が出た。



棺の中のおばあちゃんは、お化粧してもらってきれいやった。
おばあちゃんは、私が小さい頃からずっとおばあちゃんやったから、あんまりよく見たことなかったけど、実は肌がめっちゃきれいやったんやってことに気がついた。
シミもほくろも全然なかった。


おばあちゃん、いろいろありがとう。
あんまりおばあちゃん孝行できんかった。
ごめんな。
ひ孫、抱かせてあげられへんくってごめんな。


でもな、私は結婚式に来てもらえて、すっごい嬉しかってん。
どうもありがとう。