駐妻ってやつpart2


今日、語学学校が終わってから、フィリピン人の同学(クラスメート)がお家に遊びに来た。
結婚式&披露宴&2次会の写真を見てもらおうと思って誘ってみたのだ。
写真を見ながらいろいろ話しているうちに、彼女の結婚の話になった。


彼女は若いときに一人息子を連れて離婚し、そこからバリバリ働いて自分でいろんなものを手に入れてきた人。
そんな彼女が今のご主人と出会って、結婚することになった。
ご主人は世界中を駆け回るビジネスマン。
一緒にいるためには彼女は仕事を辞めなければならなかった。
そして彼女はご主人と一緒にいることを選び、仕事を辞め、北京へとやって来た。


一緒にいることを選んだと言っても、世界中あちこちで仕事をしているご主人は出張が多くて、あまり家にいないそうだ。
なので彼女は一人で家にいることが多い。
知り合いもいない、言葉も分からない北京で、彼女は少しずつ疲れていっている。


毎日たくさんの人に出会い、時間に追われて仕事をしていたとき、大変だったけど、私は私に自信を持っていた。
堂々と歩き、明るく大きな声で人と話し、いろんなことにチャレンジしたいと思っていた。


そう彼女は言う。


でも今は「自分」がなくなってしまった。


そんなふうに感じるそうだ。


ご主人にも、「以前のように堂々としていて、明るいあなたになってよ」と言われるそうだ。


でも、なれない。
大きな声で笑えない。
パーティーに誘われても、うきうきしない。
ご主人の後ろを歩き、○○さんの奥さんと紹介されて、いろんな人に遠慮しながら話す自分は間違っている。
こんな自分は自分じゃない。
分かっているのに、どうにもできない。


そう彼女は悲しそうに言った。


間違っているわけじゃないんだと思う。
上手く説明できないけど、彼女自身が納得できるなら、ものすごくアウトゴーイングじゃなくったって別にいいんだと思う。


時間に追われて、大きな責任を負って、常に緊張している中でしか人は学べないわけじゃない、成長できないわけじゃない。
どんな自分が自分らしく、どんな状況にいる自分が幸せなのか。
それは自分が判断することだ。


繰り返しのような毎日の中にも、小さいかもしれないけどいろんな変化がある。
多くの発見があり、自分も進歩している。
仕事や勉強のように目に見える形で現れるわけじゃないけれど、でも毎日いろんなことがあって、何かに気づいたり、何かを学んだりしていると思う。
誰かに褒められたり、成績をつけられたり、「肩書き」がついたりするわけじゃないけど。


そう彼女に伝えたかったけど、私よりずっと年上の彼女にそれを上手く伝える言葉が私には見つからなかった。
一生懸命話したけど、彼女には半分も伝わらなかったんじゃないだろうか。


私も夫や、周りの人にたまに言われる。
「こんな毎日刺激がないって、いつかバリバリ働きたくなるときが来るかもね」と。


そんなことは私にだって分からない。
でも今、私は自分のことを仕事ができなくて「悲しい」とか「かわいそう」とか思ったことはない。
今できることがたくさんあるし、それを楽しみたいと思っている。
そんなチャンスを得た自分はラッキーだと思う。
昔あったものを振り返って悲しむのではなく、今あるものを見て、何ができるか探していきたい。


なんて言うのは簡単なんだけどね。
私だって、時々悲しくなるときもある。
でもそれはそれでいいんだと思う。
今日泣いたって、明日笑えればいいんだし。
明日も明後日も笑えなくても、1ヵ月後たくさん笑える日が来るかもしれないしね。